プチ旅 母校と古典菊
2026年2月投稿
母校と古典菊
2025年4月のBlog「お勧めのプチ旅 通学路」で小学校への通学路を59年ぶりに歩いてみました。
その後、高校への通学路を検討していましたが、おっくうでなかなか実行できませんでした。
ところが、2025年11月末に朝のNHKの番組を見ていたら、墨田区向島の百花園での菊の展覧会(古典菊と菊盆栽)を紹介していて面白そうだと思いました。母校の都立墨田川高校と百花園とは数百メートルしか離れておらず目と鼻の先にありました。
こうして母校への通学路を辿ることになったのです。
東向島駅から母校へ
北千住駅で東武スカイツリーラインに乗り換えて、懐かしい牛田、堀切、鐘ヶ淵駅を通って東向島駅で降りました。駅のホームは高架にあるので町並みを見渡せると思いきや、現在は壁で覆われていて全く見えません。時代の要請なのですね。
50年前、私が都立墨田川高校に通っていた頃の駅名は「玉ノ井」でした。
かつて、玉ノ井は赤線で有名な色街でした。私は大学を卒業して大井町にある老舗の光学会社に入社しました。配属された現場の係長は定年間近い職人さんでしたが、玉ノ井をよく知っていました。彼が中卒で会社に入社した時に現場の先輩達が早速玉ノ井に連れて行ってくれたと言うのです。そんな時代だったのですね。
私が高校に通っていた当時も路地が狭くて、袋小路の道があったりことを思い出します。
さて、東向島駅から墨田川高校までは徒歩で8分程度でしょうか。何か思い出はないかとアンテナをピンと立てて歩いたのですが、当時の下町らしいものはなく、高層マンションが林立していました。都内で50年も経てばこうなりますね。
墨田川高校の正門のホール入口には校章の文字「七高」があって、学ランのボタンを思い出しました。それから、正門の向かい側に神社の門が変わらずにありました。通学路で思い出せるものがほとんどなかったので、学校の回りを一周してみるときれいに片付いた古い鉄工所、小さな魚屋さんがありました。しかし、残念なことに私の記憶に残っていません。
校庭では赤白の派手なジャージ(ビブスというそうです)を着た女生徒がキャッキャッと楽しそうにサッカーをしていました。明るい校庭からはどーんとスカイツリーが見えます。
後日、母校についてインターネットで調べてみると、毎年300名ほどの入学者があり、男女ともにクラブ活動が盛んなようです。私が在籍していた剣道部は部員が数名ですが存続していました。都内の小学校は生徒が激減して廃校の危機に瀕してると聞いていましたので、私はすこぶる安心しました。

東向島駅(旧玉ノ井)のホームにて
スカイツリーがくすんで見えました。当日、飛来した黄砂の影響のようです。

母校の墨田川高校
校舎はすっかりきれいになっていました。かつての床に穴のあいたぼろい体育館が懐かしい。

校章
玄関ホールの入り口にありました!
向島百花園の古典菊
校庭の女生徒の明るい声を聞いて母校を後にしました。百花園に向かう途中には向島の年間行事と地図を書いた案内板がありました。
向島百花園では「菊が彩る江戸花屋敷」展が11月8日~11月30日まで開催されていました。展示の説明を引用しますと
「江戸時代は園芸文化が大きく発展した時代で、菊も様々な品種が誕生し、全国で発展しました。その中で誕生した様々な系統が、今日では伝統的な園芸品種として「古典菊」と呼ばれています。向島百花園では古典菊の展示と菊にまつわる催しを開催します。往時から現代に続く園芸文化である菊の優美な姿を、ぜひお楽しみください」とあります。

年間行事と付近の地図
地図には墨田川高校も載っています。

百花園の庭門
庭門をくぐると古典菊の説明と菊合わせのコーナーがあります。
楽しい「菊合わせ」
江戸時代に菊の栽培家達の間では「菊合わせ」、「菊会」と呼ばれる品評会が行われていました。菊を竹の一輪挿しに入れて品評し、入選した勝ち菊の一等は現在の15万円で取引されることもありました(花壇養菊集三巻より)。
会場には菊合わせのコーナーがあって、なんと19輪の古典菊が展示されていて好みのものに投票できるようになっていました。とても楽しい企画です! 当時の人々はフィーバーしたのではないでしょうか。私は赤くて斬新な姿の「筆染川」に投票しました。

菊合わせ
こんな風に展示しています。
写真2 --- 投票した「筆染川」
写真3 --- 「星月夜」なんて素敵な名前でしょう。花弁の先がスプーン状になっています。
古典菊について
古典菊は、江戸中期に各地の大名などの保護奨励により発展しました。江戸菊、嵯峨菊、肥後菊、伊勢菊と、丁子菊(三山)について園内の説明から抜粋します。以下、「 」の表記。沿革も面白いので少々くどいかもしれませんが掲載することにしました。
今回初めて古典菊を観てとても感動しました。それはかつて多治見の大織部展で初めて織部焼を見た時と同じ感動でした。約400年も前に織部の斬新なデザインが生み出されたことや時代背景に衝撃を受けました。
古典菊は江戸時代中期で200年前ということですが、それにしても凄い姿形です。来年も本展覧会に行って本気で写真を撮ろうと思いました。

江戸菊
「寛正から文化期(1789~1818)に江戸で生まれた品種。日々折れ曲がったりするので狂い菊、芸菊と呼ばれる」
写真1 --- 紅色と黄色のコントラストが美しい。銘は「宿一本」
写真3 --- 銘は「うたかた」

嵯峨菊
「明治まで大覚寺のみで育成され、門外不出の菊であった。京都嵯峨自生のノギクを宮廷風に洗練させた格調高い菊」
花弁がまるで茶筅をひっくり返したようです。

肥後菊
「肥後藩の花文化(肥後六花)の一つとして栽培され、当時は門外不出であった。一重咲きで花弁の間に隙間があるのが特徴」
一目で区別がつきますね。

伊勢菊
「嵯峨菊から改良変化した伊勢神宮ゆかりの菊。嵯峨菊に似るが縮れた花弁が垂れさがるのが特徴」
これはすごい!斬新ですよね。

丁子菊(三山)
「関西地方で発達した菊。外側の花弁が大きく、花の中心が盛り上がって咲くのが特徴」
まるでクッキーのようです。

